斎藤元彦の祖父!ケミカルシューズ製造の経営者でお金持ちだった!?

兵庫県知事である齋藤元彦(さいとう もとひこ)さん。

そんな彼の祖父は経営者だったんだとか。

調べてみると斎藤元彦さんと祖父とのエピソードもあったので

今回は斎藤元彦さんの祖父についてや祖父とのエピソードをまとめてみました。

目次

斎藤元彦の祖父はケミカルシューズの経営者

斎藤元彦さんの祖父は

神戸市長田区と須磨区でケミカルシューズ製造企業を経営されていたそうです。

・ケミカルシューズとは?
塩化ビニール等の合成樹脂を使用した靴のこと。

1868年の開港以降、神戸では生ゴムの輸入と共にゴム工業が盛んに行われていて
大正時代にはゴム靴の製造が始まり順調に発展してきました。
ですが1945年頃からゴムの配給を受けられなくなった中小メーカーは
様々な材料で靴を作るようになり、その中で1952年頃
誕生したのが、
塩化ビニール等の合成樹脂を使用したケミカルシューズだったそうです。

順調に育っていた会社だったみたいですが

元彦さんが大学進学の頃の1990年代後半に

元彦さんの父親の代で経営が悪化したそう。

そして現在はこの会社はなくなっているようです。

斎藤元彦と祖父とのエピソード

斎藤元彦さんと祖父とのエピソードは以下です。

  • 元彦という名前は祖父がつけた
  • 祖父と商店街でよく買い物をしていた
  • 座右の銘は祖父からの言葉
  • 政治を目指す原点は祖父

では詳しく見ていきましょう!

元彦という名前は祖父が命名

「元彦」という名前は祖父が命名したそうで

元兵庫県知事だった金井元彦さんからとったようです。

斎藤氏は同氏の名前について、
1962〜70年に兵庫県知事を務めた金井元彦に由来して祖父が名付けたことなどを紹介。

神戸経済ニュース (kobekeizai.jp)

祖父はきっと元彦さんに立派な知事になってほしいという想いでこの名前にしたのでしょうね。

父と商店街でよく買い物をしていた

斎藤元彦さんと祖父はケミカルシューズの工場がある

神戸市須磨区の板宿の商店街によく行ったそうです。

ご飯を食べたり買い物に連れていかれたりと、
小さいころから板宿商店街にはお世話になりました。

きっと祖父は元彦さんをとても可愛がられていたのでしょうね。

微笑ましいエピソードですよね。

座右の銘は祖父からの言葉

斎藤元彦さんの座右の銘は「雲中雲を見ず」だそうです。

雲中雲を見ず:物質の本質を見失い、目先のことにとらわれてしまう状態を表す言葉。

こちらの言葉は亡くなった祖父からの言葉だそうで

元彦さんはこの言葉を胸に

大きな権力を持つ知事はともすれば県民の皆さんと乖離することもありうる。
自分をしっかりかえりみてやっていく。

と、語っておられました。

乖離する:本来なら近くあるべきもの・近くあってほしいものが、
不本意にも互いに遠ざかっている・かけ離れている

素敵な言葉で元彦さんはこの言葉を大切にされているのでしょうね。

政治を志す原点は祖父

元彦さんは小さい頃から祖父の会社経営をそばで学んでいて

祖父が経営の厳しさ、大変さについて話しているのをよく聞いていたそうです。

そのことが雅彦さんが政治を志す原点になっているそう。

小さい頃から、祖父が経営の厳しさ・大変さについて話しているのを耳にしました。
その記憶が積み重なり、「地場産業を大切にしたい」と思ったことが、
私が政治を志す原点になっています。

さいとう元彦公式ウェブサイト

斎藤元彦さんが政治を志したのは祖父の存在合ってこそだったのですね。

斎藤元彦のプロフィール

・名前:齋藤元彦(さいとうもとひこ)
・生年月日:1977年11月15日
・年齢:46歳(2024年7月現在)
・出身:兵庫県神戸市須磨区
・趣味:読書、ジョギング、寺社巡り
・前職業:元総務官僚

まとめ

いかがだったでしょうか?

斎藤元彦さんの祖父はケミカルシューズの経営者で

元彦さんが政治を志す原点を作った方でしたね。

斎藤雅彦さんの家族についてもまとめていますのでご覧ください。

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